こんにちは。1年ぶり、4度目の部日誌エントリーとなります、中プロコンマスの竹内です。前はご飯大臣として書きました。

もう1年経つんですね。明後日には16Mと同期のNPEが幹部上になると聞いて正直何言ってるのかわからん状態です。というか半年後には14Mと16NPの神々が卒業するって真?

せっかくコンマスとして幹部じゃないのに部日誌を書く機会をいただいたので、ストイックに音楽の話を書いていこうと思います。今年一年通して生じた、僕の音楽に対する考えの変化について報告というか公開というかをしようとおもひて書きます。と言ってもそんな大した内容じゃありませんが。

これまで僕を悩ませてきた疑問の一つとして、なぜ僕は楽器を練習するのか、というものがありました。突き詰めると、なぜ僕は音楽をするのか、という疑問でもあると思います。

昨年も似たような内容を書いた気がしなくもないですが、あの時はみんなが心を通わせられて気持ちいいから(要約)、みたいなことを解としました。しかし、この解はかなり弱い解であると思います。心を通わせられるだけの技術がなかったら?弾けてない人がいたら自分が練習する意味はなくなるのでは?ゐのはなである必要とは?そもそも心を通わせるとは?と無限に弱点が見つかってきます。

なんとなくこんなことを考えながら一年過ごしてるうちに、自分がした音楽により誰かいい気分になってそれが素敵だからだ、という解が新たに心の中に湧いてきました。前の解がこちらの投げかけに対し周囲が投げ返してくることに対する喜びに着目しているのに対し、今回の解はこちらが投げかけることに対する喜びに着目しています。周囲への依存性を解いた、ということでもあります。

自分の演奏を聞いて、誰かがいい気分になる。それだけで十分うれしいのに、いい気分になった誰かがそれに共感し合わせてくれる。それを聞いた誰かがさらにいい気分になって、また合わせてくれる。(以後無限ループ)
その共感の最終形態としてオーケストラが存在し、自分らが増幅させた共感を観客にとどけ、観客にも共感してもらえたらみんなよりいい気分になると思います。
はじめはリズムや音程を合わせていき、やがて強弱、音質、表現へとだんだんグレードアップできたら聞いてる人はもっと気分がよくなるし、もっと深い共感が得られるかもしれない。そのために自分は練習していて、そういう風にしていい気分になってほしい人が多くいるから僕はゐのはなにいるのかなーと思いました。

報告は以上です。本質的には、団員と観客に違いはないと思います。自分が演奏を通して発したエネルギーを、演奏で返してくるか拍手で返してくるか、くらいの違いでしょうか。
コンマスはその共感の軸になりうる存在だと思います。本番まであと少しですが、なんとか自分の音楽を皆さんに発信していきたいと思います。皆さんも皆さんの演奏を僕にお聞かせください。

技術はまだまだ未熟でご迷惑おかけしますが、お互いの演奏によって本番の日が皆さんにとって、そして僕にとっても普段とは少し違う、特別な日になったらいいなと思います。
(↓パンフレットに乗せる曲紹介を添付しておきます。ぜひ読んでみてください。)
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テーマ : 子育て
ジャンル : 育児

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